魂に栄養を与える香りの習慣
ひふみお香アカデミー
椎名まさえです。
~お釈迦様の「香」の教え~
人が死んだとき、インドでは、
遺骸をガンジス川に流すのが通例でした。
しかし、お釈迦様が亡くなったとき、
弟子たちは、
お釈迦様を荼毘(だび)に附して、
骨を分け、それを、
銘々が祀りたいといいました。
これが、火葬の始まりです。
火葬のために、インド中から、
信者が香木「白檀」を持ち寄ってきたので、
お釈迦様は香木「白檀」で火葬されたのです。
お釈迦様の骨は小さく分けられました。
それを仏舎利と言います。
弟子たちは、仏舎利をそれぞれ持ち帰り、
供養しました。
釈迦の弟子は4万8千人。
あまりに多くに分けたので、
骨は小さくなって、
ちょうどご飯粒のようになってしまいました。
それで、ご飯を見ると、
「舎利」(シャリ)のようだというわけで、
ご飯をシャリ、
白いご飯を「銀シャリ」と呼び、
尊んだのです。
お釈迦様の骨と同じで、
御飯は尊い食べ物なのです。
さて、仏舎利は、
素晴らしい香木
(インド白檀は、白檀の王様)で焚いたので、
小さく分けても、
骨から香の香りが漂っていました。
弟子たちが、仏舎利を拝むと、
香の香りが漂ってきて、
まるで、骨になったお釈迦様が、
教えを説いて、
自分たちを守っているように、
感じたといいます。
やがて庶民も、香木で遺体を荼毘にして、
お釈迦様のように、
崇めてもらいたいと思うようになりました。
ところが、
庶民は高価な香木を買うことができません。
それで、親戚の者が、
香木の代金の一部として
お金を持ち寄ったのが、
香典の始まりとなりました。
香典の「香」はお釈迦様の言葉、
「典」は教えという意味です。
「香典」には、尊い意味があったのです。
また、
人間は、死ねば仏様といわれますが、
お釈迦様(仏陀)のように、
骨から香の香りは漂いません。
そこで、私たちの仏前では、
線香を焚いて、香りを漂わせ、
お釈迦様ように、
先祖と子孫との心つなぐ架け橋としたのです。
これが、線香のはじまりです。
線香の香りには、
亡くなった方を偲ぶ
愛が込められているのです。